宿題の意義 その3
こんにちは。
くらやみまんファンの講師です。
前回のブログの続き、「社会人になったとき、どうして学校で習ったことは使えないのか」という問いかけから始めます。
たとえば、学校でおいしいラーメン作る授業をするとします。
一生懸命その授業を受けておいしいラーメンが作れるようになったとします。
その後社会人になったとき、もしくはなる前に「そうだ、おいしいラーメンを作ってみよう!」と思うことがあるかもしれません。
なぜなら、おいしいラーメンを作れるからです。
その反対に、授業で一生懸命ラーメンつくりの授業をしていなかったら、
大人になって「ラーメンを作ってみよう」とは思わないでしょう。
つまり、僕たちが大人になって学校で習った授業の内容を使わないのは、
僕らにも責任があるのだと思います。
さて、本題に戻ります。
宿題の意義とは、今述べてきたように将来役立てるくらい勉強をすすめるということがあります。
また、役立たなかったとしても物事を習得する方法を学べるということがあります。
そして、コツコツ努力する精神も身に着けられます。
宿題をするぐらいで、そんな良いことが得られるわけない!と
まだ思う方がいらっしゃいましたら、
王貞治さんのこの言葉を送りたいと思います。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
それでは!
次回のテーマは「名選手は名監督にあらず」です!